LastModified:2007/08/31-16:11:08
教師の人生を崩壊させた1回のチャット――小児性愛者を摘発するネット自警団
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まぁ簡単に言えばペドな人を囮捜査で調べるということらしいですが、まさに偽善集団ですね。
本人達は正義の鉄槌のつもりなんでしょうけど、追い込まれて人生を崩壊させられた人が
この教師のようにおとなしく自殺するだけ(本人にしてみれば"だけ"なんて問題ではないでしょうけど)
の人間とは思えません。
法律や社会秩序や道徳、理性という歯止めは「失う物がある」ことが前提になっています。
(これは国際社会でも同じことで、だからこそ各国がならず者国家と知りながら"北朝鮮を孤立させない"
ようにしようとしていたりするわけです)
完全に孤立し、何もかもを失った人間は実はこの世で最強。なにしろ失う物が何もないんですから。
彼の前ではどんな法律も意味を失ってしまう。
故に失う物の無い人間のしでかすことを未然に防止することはできません。
つまり何を言いたいか?というと・・・こーなった人が
ヤケになって本当に学校に立てこもって児童虐殺
とか
スクールバスジャック
とか
ハイジャック機でビルに激突
とかしたら一体誰の責任なのかなぁ?もちろん本人が一番悪いんでしょうけど、
追い込んだ連中に責任が無いと誰が言えるでしょうか?
もう一つ重要なのは、こういう囮捜査をしているのがただの素人集団ということですね。
実際裁判で有罪にできるだけの証拠もなく、なんの知識もない偽善素人捜査員が
「〜はペドフィリアだから注意しろ」みたいな
警告をWEBで流すというのは冤罪が発生する可能性が大です。
簡単に言えば、嫌いな奴Aがいたとして、Aを陥れるために、チャットルームで
小児性愛者を装って演技、住所とか電話番号を聞かれたらAの住所や電話番号を教えてやれば
いいわけです。
もし、そんなことになってAが冤罪で自殺者したり、追い込まれて犯罪に走ったら
この偽善者どもは何を言うんでしょうね?
いや、分かってます。こういう偽善者達の言う言葉は古来から決まっているのです。
こう言うのでしょう、
「栄光ある勝利のためには多少の犠牲はつきものである」
この言葉の元に正義を振りかざす人間にロクな人間はいません。